ええと・・・
作品としての印象を一言で言ってしまうと可も無く不可も無く・・・(ってどうしようもない感想じゃのう)


まず大前提として、私は今までに2本ほどアンナカレーニナの映画を見たことがあって、ついでに原作も読んだことがあったりするので、今回の舞台の感想は純粋に舞台を見ての感想というより、アンナカレーニナという作品の描写に対しての感想になってしまいます。
これを読まれる方には「そうは感じなかった」と思われる感想も少なくないと思いますが、もしそう思われることがあったら是非一言くださいませー。
舞台の印象とかの相違について語るの大好きです!!(笑)


先に今回の舞台に対しての不満を述べてしまいますと、あまりにアンナがワガママで、そして周囲の人たちが良い人過ぎる!!
ていうか、主にアレクシス!!!
もっと彼も身勝手でワガママで良かったんじゃないかと思う。
今日の舞台ではどう見てもアレクシス自身はそれ程アンナを追い詰めていないように見えるし、追い詰めないように物凄く努力して自制している感があったけれど、それだとアンナが崩壊していくのはただ息子のセリョージャに会えないというただ一点の理由だけになってしまう。
まあ、セリョージャ可愛かったですけど(笑)
それでは「ほかの事にあんなに満たされているのに!?」とアンナを攻めたくなるし、愛し合っていたアレクシスとの子どもの存在を認識できないという理由もほとんど見えない。


具体的にアレクシスに欲しかったのは、アンナが拒絶しても求愛してきたのに、アンナが手に入った途端に、彼の言葉を借りれば「飽きっぽい」性格が表に出きたり(結局「駆け落ち」というロマンティックな行為に溺れ、けれど故郷から離れた生活にだんだんと飽きてなんだかんだと理由を付けて「モスクワに帰ろう」と言い出すわけだ)、母親を悪く言われて激怒する母思いの息子に見せかけて、実のところ親の財産と地位に依存しているから、人妻に求愛という人道から外れた行為も出来たのだという身勝手さ。
そういったものがアレクシス側にあるからこそ、全てを捨てて全てを委ねた人が自分から離れていくという事実に直面せざるを得なくなるアンナの図が見えてくるのではないかと思うのですね・・・。


思いやりも大事だとは思うけどさ・・・
この舞台では、アレクシスは本当にアンナを気遣い、彼のできる限りの精神力でアンナを愛そうと努力しているように見えてしまうので、それではあえてああいうラストになるのだとしたら、彼の本当の愛情にはアンナは気付かないまま終わってしまったのではないかとも思われるのです。
ていうか、アンナの欲しい形での愛情表現ではなかったから満たされなかったというか・・・
ていうか、結局セリョージャか、と(笑)
アンナカレーニナの世界では、前半はともかく、後半のアレクシスの愛情はもう少し薄っぺらくていいんじゃないかなと思ったり・・・(そして、それでもひと時は深く愛したアンナを自分の身勝手で苦しめてしまった後悔から最後の決断になるのだと)
最初っからセリョージャなのではなく、セリョージャを心のよりどころにするしかなくなるというくだりがもっと欲しかった、ってことなんです、つまりは。


舞台としてみてとても美しかったのはセット!
鳥小屋のように窓枠が舞台を囲っていて、籠の中の鳥として生きることを望まれたアンナや他の女性達の図がとても綺麗に映し出されて素敵でしたー。
キティ役の新谷さんはさすがと思わせる間合いの取り方で特異なキャラを可愛く演じていらっしゃいましたし(歌は・・・ちょっと・・・でしたけど・・・笑)あー、ももさわメイドさんとの絡みは台詞無しでのやり取りなだけに余計に笑いが・・・
あとはですねー・・・って
すみません、そろそろタイムリミットなので続きは明日☆